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浜松に ”官立高等学校” 設置を目指して

そして”官立浜松高等工業学校”(静岡大学工学部)が・・・


みかえる


 みかりん

大正8年(1919)1月15日(水)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)1~5
本県に高等工業建設 知事具体的計画発表す

本県に高等程度の教育機関創設の件は多年の懸案なりしが愈々いよいよ)高等工業学校建設の形式を以て十四日赤池本県知事は之が具体的計画を発表せり  即ち政府にては全国中高等教育機関の設備なき二十七県に対し十六県を選定し十六校の高等程度の学校を増設せむとして第一次計画を立て着々進捗中なりしが当時本県は該第一次指定県中に包含せれざれしも先般畏くも正城陛下には教育事業に関し御執念遊ばれ内帑金一千万円の御分賜さえあり以てこれが普及を御奨励あらせられたるに依り政府は更に第二次計画を樹て選定の結果愈々本県もその選に入り昨報の如く急遽赤池知事の上京を見たる次第なるが本県に建設さるべき高等工業学校は位置未定なるも文科は機械科応用科学科電気科三部にして設備費は地方の負担となすべき事なり居り右設備費用予算は百十万円にして大正八年度より同十一年度に至る四ヶ年間の継続事業として完成さるべき事となり居るが右に関し赤池知事は百万の県費支弁計画その他に付き語つ曰く
「本県は由来東海道の要路に在り文化の進歩は大いに見るべきものありしに加えて県産亦相当に豊富にして従って財力との関係より教育機関の如きも発達見るんべきものなかりしは寧ろ余の不思議と思惟し居たる所なり随って今回政府が高等教育機関の企業あるに当たり本県も其の選にいれたるは大いに欣喜とする所なるがその順序として高工を先にすべきか、又は一般的の高等学校を先にすべきか将その他の高等専門学校を先にすべきかに就いては世間各種の議論あり

然れども余は本県の実情特に工業県として優越し居るに考照 特に高等工業学校を受諾せむとする者なるが位置収容人員他未だ何ら具体的に決定し居らざるも設備費百万円支出の件に関しては最近臨時県会議を招集し県会議の与論に問いて決定すべき意向なり」
云々と臨時県会議招集期日に関しては未だ決定するに居たらざるも知事としては治水問題戦後産業問題政策 その他の件もあり旁々二月中旬以前なるべく推定されつつあり而して県費支弁に関しては知事の意向としては 本県には特に可成的大会社工場等工業に関する者の存立少なからざるを以て之等よりも相当の寄付金を 募集しその差額を県費負担となすべき模様あり而して現在の静岡浜松両県立工業学校処分の件に関しては 勿論未だ高工業の確定し居らざる異常決定すべき理由なきも隣県愛知県等の例に顕すると或は現在のまま 継続せしむべきものには非ざるかと云うが或は又之が為多少の変更を見るや、知らずと予測される 右につき十四日赤池知事 県会議長平野政五郎氏を本県に召致し打合わせする所ありたるが、本県が 特に高等学校を先にせずして高等工業学校を指定せしに就いては 未だ普通高等教育機関たる磐田中学等 も設立を見ざる今日各種の異論は議員中より起るべきやも期すべからざるも高等学校に至りては大学の 収容人員とも関係もあり又その他に就いては時期よりの関係上止むを得ざる事情もあり恐らく臨時県会の 召集さるるに於いては結局は知事の提案は全部通過する事ならむと云う

大正8年(1919)1月16日(木)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)1~5
是が非でも高工は静岡市に 市長助役交交語る 不日市会にも詢り万遺算なきを期する決心なりと

文部省の高等教育機関増設計画中大正八年度に属する七校中本県下に高等工業高校を設置する事に決定せる事は既報の如くなるが高工設置に就いて浜松市にてはいち早くより運動に着手し竹山市長は縁故を辿り岡田前文相に縋り非公式に政府の内意を質すと共に市参事会員等又熱心運動に参加し中村市会議長及び天野高柳及び小竹の市会議員は私用と稱(称)し十一日以来上京し政府要路者及び政友会僚袖連を訪問して活躍しつつありそれがあらぬか本県下に設置の高等工業学校の位置は文部省当局にては既に浜松市と決定せりと言明せる由なるが静岡市当局は従来稍々もすればこの種の運動には浜松市に一歩後るゝ気味あり今回の高工設置に就いて十五日市役所に判野静岡市長を訪へば曰く
「高等工業学校を静岡県に設置さるゝ事に就いては知事が今回上京する前にも面会しその位置に就いて懇願したが、何れ自分が上京して其の模様に依ってからでよかろうとの話で、知事帰庁後は未だ面会せぬが、今日(十五日)午後面会しようと思って居る、尚私から尾崎代議士、安達県会議員にも静岡市へ高工設置さるゝお願いして置いて両氏は今朝知事へ面会せられた この問題に関して目下何ら具体的成案はないけれども何れ不日市会とも相談し委員を設くるなりし設置運動の方法を極力之を講じ違算なきえお期する心算である
然し既に静岡県へ設置の事が決定した以上は其の位置に就いては知事の意見が重きを為す事であろう知事は浜松なり静岡なりに就いて公平なろ判断を下すであろうと思ふ 直接市より文部当局へ迫る事も必要ではあろうが果たして幾何の功があるか考えものであろう 兎に角静岡市としては是が非でも高工を当市へ設置して貰いたいのでこれに対しては十分遺憾なきを期す心算である」云々と
尚水野助役は曰く 「高等工業学校を静岡市に設置して貰ひ度い事は我々の切磋して止まぬ所である それに就いての運動乃至準備等も具体的に斯うと云う事は出来ぬが万違算なきを期して居るので、決して市当局は軽視しては居ず、高工は浜松に譲っても何れ高等学校を静岡にとれば経費も少なくなっていいなどと云う考えは一厘もなく、寧ろ高等学校は外に設置されても工業界実業界の為に是非是非高等工業学校は静岡市に取り度いのである」
と語り胸中既に成算あるものの如かりき、尚十五日午前尾崎代議士、天達県会議員は市長を訪問し協議する所ありたり

静岡民友新聞(二)1~5
設置方針 県廰(庁)所在地より

文部省の学校増設計画が発表せらるるや之が設置地の奪取運動各地方に熾烈を極めつつあるが当局の方針は主として高等教育機関の設置なき地方より始め且つ同県下に在りては県廰(庁)所在地を先とするの順序を執れるが如くなるも各地方は政府の設置指定のことあるや同県下に於いて猛烈なる運動を試み例えば福島県の如く政府の福島市に指定したるに対し同県郡山町は町会一致の決議を以て経費の全部を支出すとて猛烈な 奪取運動を開始したるが政府としては出来得る限り多くの設置を希望すべくも既に政府が割当たる福島市にて経費を肯せざる時は別として然らざる限り当初の予定を変更し難しといふにあり更に静岡県に於ける静岡市に対し浜松市の運動極端なるありて事情の斟酌すべきものあれども亦己む可らず遡って之を文部省の計画案にある設置の割当に 就いては種々なる設あり
且つは目下地方長官の上京を促して照会中のものもありて全部確定には至らざるも確聞する所に依れば本予算の四校を除き追加予算に計上せる高等学校十校、実業専門学校十七校専門学校二校中大正八年度に割当てたるものは三ヶ年継続事業のもの高等学校二校、実業専門学校四校専門学校一校等七校にして四ヶ年継続事業のものは高等学校三校、実業専門学校五校専門学校八校合計十五校に決定せりと云ふ而して其の割当の県左の如し

△三ヶ年継続
△高等学校(二校)松江、青森
△高等商業(二校)大分、福島
△高等工芸(一校)東京
△高等農林(一校)津
△外国語学校(一校)大阪
等にして九年度以降に於いては爾除の高等学校五校、高等商業三校、高等工業二校、高等農林一校、 薬学専門学校(東京)一校を割当つる事なり居るが八年度の分もその地方の事情如何に依りては同県下 に在りても県庁所在地以外の都市に変更することもあるべきもこの事は万なかるべしと見て間違ひなからん 尚八年度割中高等工業一校は全く未定のことに属し山形県及び和歌山県等に其の奪取運動を見つつあるが 両三日中には全く決定を見るんべしと云う
△四ヶ年継続
△高等学校(三校)浦和、福井、大津
△高等工業(二校)静岡他一
△高等農林(一校)宇都宮
等にして九年度以降に於いては爾除の高等学校五校、高等商業三校、高等工業二校、高等農林一校、 薬学専門学校(東京)一校を割当つる事なり居るが八年度の分もその地方の事情如何に依りては同県下 に在りても県庁所在地以外の都市に変更することもあるべきもこの事は万なかるべしと見て間違ひなからん 尚八年度割中高等工業一校は全く未定のことに属し山形県及び和歌山県等に其の奪取運動を見つつあるが 両三日中には全く決定を見るんべしと云う


静岡民友新聞(三)1~2
高工の寄付金に百万円=投出せ  静岡の面目にかかると議員語る

本県に高等工業学校を設置する事になった事は昨報の如くで県民としては多年の宿望を愈々達した訳である、位置については静岡か浜舞うtkと多少議論もないではないが位置は全く文部当局の一存で決定するものであってしかも既に浜松に決定していると言明している以上必然浜松に設置される事は無論であるかと云って■静岡が指を咥えてて見て居る云うはいかにも意気地のない事である
元来高等学校設立の問題は久しい以前からの事で既に明治32年にも政府にその意思があると聞いた時、静岡は新潟と激烈な競争を為し本県は二十万円寄付の県議をしたことがあったが此の時hはそのまま立ち消えとなってしまったのだ
続いて第八高等学校の建設の際の如きは文部省から特に内交渉があったにも拘わらずやっと県会の最終日に建設費寄付の決議をして政府に迫ったが時既に遅しで見事名古屋にさらわれて終わった。
そこへ行くと浜松は却々(なかなか)に抜け目なく立ち回った本県が二度の失敗をしたのを見て特別に運動を単独で始めたのであった、と云うのは浜松に刑染、制帽、楽器の三大会社と遠江織物業者と云う
◇有利な武器があるのを
◇幸に頻(しき)りに猛烈な運動を試みたのである
竹山市長、中村市会議長にしろ前代議士の高柳市会議員や楽器会社社長の天野市会議員なんぞの面々が何れも上京して政府の要路者及び政友会の領袖者を歴訪して大活躍をした結果文部省でも内儀が意外に進んで愈々高等工業学校を本県にしかも浜松市に設置する事になったのである。

されば浜松市民は多年の志望を遂げたと云うので一大祝賀会を開こうとする素晴らしい(意)気込みであるに引きかて静岡はどうだ鉄道院の工場を浜松に取られてから少しは褌に紐を締めた感があったがそれでも今度の高等学校問題では頗(すこぶ)る面食らって居る
◇新聞の号外を見てから
◇ソレ運動だと大騒ぎをして見たって追いつかないが伴野市長や水野助役が位置の選定は文部省の一存にあるのだから運動したって動くものじゃないと云って居るなぞは大いに心細い訳だ。
それを捨て置いていよいよ建設されると決定した以上一日も早く政府に確答をしなければならない
建設費全部の百十万円を本県から寄付すると云う条件であるがこの寄付金は四ヶ年継続と云うのであるから一年わずか三十万円である
来月中には臨時県会を開いて県民の意向を聴い上で政府に回答する考えであると赤池知事は言って居るが無論県民に異存のあろう筈はない満場一致で可決される事は明らかである
そこで寄付金の募集であるが茨城県では昨年高等学校設立費七十万円の寄付を募った処が内田信也氏 ◇只に砦百十万円を投り出すたと言う例もあるもの本県だって伊豆には船成金の織明氏もありその他多くの富豪や大正成金がうようよして居るのだから忽ち寄付金が集まる事は請け合いであるg静岡市の金持ち連中もここで一つうんと度胸を見せて浜松に負けぬようしっかりやってもらいたいものだが いうなると残ろのは九年度の高等学校問題でこれはどうしても面目上静岡に持って来たいと最も有力な某市会議員は語った

静岡新報
静岡新報(二)3~5
高等工業学校位置 争奪戦漸次熾烈を極ん 静岡親和会の奮起活動

▲浜松市運動
既に浜松市にありては政府当局の高等教育機関増設計画発表と共に憤然決起すべく決意し去る七日新年会の席上に於いて「当市に高等教育機関の設置を期するは既に多年の宿望なり幸い今般政府当局が之が増設を計画したるに 於いては飽く迄も初志貫徹に努むべし」との申し合わせをなし他面竹山市長は非公式に縁戚なる岡田前文相を頼りて政府の内意を索(さぐ)り、市会議員等亦運動を開始し中村議長天野高柳両議員等は十一日以来政府当局その他を歴訪して陳情に努むる 所あり遂に文部省当局者より「浜松市に高等工業学校を設置すべし」との言明をえ 意気揚々帰浜せり

▲親和会活動

判読不能

・・・・・・・・・・ては何らその事なく此のままになし置かんか鉄工場の如くふたたび浜松市に奪われるおそれあり市発展上影響すべき所甚大なるを以て静岡親和会にては市当局並びに市会議員を督励して静岡市に設置を実現せしめんと

十五日岡崎伊勢蔵、袖山、田中、岩崎、杉本(義道)四市会議員、寺崎乙次郎、黒田福三郎、鹿園実博八氏 市役所に出頭 先ず中野市会議長と会見しし、速やかに市会議員協議会を開き運動方法その他につき協議ありたき希望を述べ、中野議長、速やかに開会すべしとの挨拶あり、 次に判野市長と会見、静岡市に設置すべく全力を傾注し万遺算なき様 努力ありたき旨を述べ伴野市長は極力努力すべしと告げ、尚運動方法その他につき種々希望する所ありて辞去、県庁に出頭、位置に関する県当局並びに主務省の方針等を聴取・・・・・・

判読不能

▲赤池知事談
浜松静岡両市斯くの如し、富士郡また先に県立工業学校問題に関し、極力運動を試みたる情勢よりして今回も黙視すべしとも思われず各地の運動は日を追うて熾烈を加ふべき形勢なるが之に就き赤池知事は「設置地点は本県下のみにて未だいづくとも決定し居らざると既に発表せるが如し、

余は文部当局との打合せの際、敷地問題に関しては本県として自ら事情あり 且つ県会の意向も参照するの穏当(おんとう)なるを思い尚余裕を存じ置くことに為し来たれり、されば浜松市がたとえ如何なる運動を試むるとも、文部当局がその意志を翻へし同市に設置に設置すべしと言明するが如き道理あるなく 恐らくは下僚の私見に過ぎざるべしと思量す、又今後といえども決して運動誓願の効果なきを確信す」云々と語り敷地問題に迄焦慮(しょうりょ)を及ぼし居らざるが如く見受けたり

▲寄付金慫慂(しょうよう)
かくて赤池知事は県負担にして不能に終わらんかついには機会を逸すべきを慮(おもんぱか)り之が解決を先決問題と為しつつあるものの如くすでに惣田会計課長を上京せしめ県出身の福川緒明その他の富豪を歴訪寄付金の慫慂をなさしめつつあり更に十五日の如き伴野静岡市長、川西駿東郡長、湯山壽介氏その他を召致会見し他面富士製紙をはじめとし問間営利会社重役にも招電を発し極力寄付行為 の慫慂交渉に努めたり


静岡新報(二)
甲乙丙丁

運動に付いては常に先手を打つ浜松は今度の高工設置でも舊臘から着手したと云うのに静岡市では14日初めて知ったと云う始末▲中野議長なども真に以て寝耳に水と云う訳でなどという始末、中野君や市長が知らなかったのは無理もないとしても尾崎代議士が知らぬ筈がない、市選出の代議士にその位の事が判らなくてどうすると一部に非難の声が高い、実際尾崎君は市長から話がある迄は知らなかった用だ▲静岡親和会では飽くまで静岡市に設置せしめる為 大活動を開始した、高工問題が落着するまで市電問題は中止するそうだ

※ 舊臘【旧臘】(きゅうろう)・・・・(新年から見て)昨年の12月

大正8年(1919)1月17日(金)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)1~4
高工建設と各地の躍気運動 静夫会社官民合同して徹底的 運動せしむ  形勢浜松に有利

本県に高等工業学校を建設するの件に関して静岡浜松両市及び駿東郡方面の争奪戦は愈々猛烈を加え何れも昨報の如く活動大いに努めつつあるが静岡市に於いても躍起となり期成的運動を為すべく同市会議員又16日売るの協議会開会を利用し具体的態度方針をも決定すべしと云うが何れも今回は飽くまで官民合同して徹底的に運動を為さむと奔走中なるが右に付き市会議員中の有力者伏見忠七氏は運動の前途を語って曰く「高工建設一の選定に関しては一説は既に浜松に決定せりと伝ふるも又既に静岡に決定し居れりとの異なる説もあり之らを総合するに実際は未だ決定し居らず。赤池知事の云えるが如く今後慎重研究の上決定する者と見るが妥当ならむ。而して静岡市に於ける運動状況は既に政府の学制拡張の説伝わるや浜松市同様伴野市長尾崎代議士は政府の意向を偵察し非公式に運動を継続しつつあり。 只今後今回の具体的発表に依り更に正式に運動を為さむと云ふのみなるが工業分布の状況より云えば浜松及び富士川以東の主張は各一理あれども又静岡市は県下の中央に在りて電気機械同工業の集団地を為し又化学工業に対する関係を相当に享有し居るに見るも又県治の中心地とし又教育の中心地としても最も適当なるは恐らく論議の余地無かるべし。
加えこの寄付金の如きも浜松市に於いて50万円の寄付を為すと鑑定せむが静岡市又敢えて之が支出を躊躇せさるべしと信ず云々」
多分浜松 専門学務局長談記者は16日午前文部省に大臣を訪(とぶら)ひ今回静岡県に建設されるべき高工の位置に関して当局の意見の存在する所を聴かんせるに折から外出中なりしを以て次官及び専門学務局長に面会、正したるに次官は位置その他に対して未だ殆ど話柄(わへい)なしとせるも専門学務局長は語って曰く
「今回文部省が学校増設計画として静岡県に高等工業学校一校を四ヶ年計継続事業にて建設するに決定せるは既に発表せる所なるも其の位置について未だ決して確定したるものに非ず。すなわち之を確定せんには該県知事とも熟議協定の結果に在らざれば本省のみにて決し得ざるものなり、又運動の結果一度決定したるものを変更し或いは之に左右さるるが如き事は断じて之なく知事としても然る事なきは勿論なり。然れども静岡県高工の位置は其の地形上より見るも工業発達状況より見るも浜松を以て好適地と思料されつつあり。然れば余が言明の限りには非ざるはおそらくは浜松ならんか云々」
右談話を推定して記者は浜松に建設さるるに至るべしと信ぜらるる(東京支社記者)

大正8年(1919)1月18日(土)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)1~2
市会議員協議会  市長知事打合せ  浜松極力運動

昨報の如く急遽16日午後七時より左図静岡市役所楼上に招集されたる同市会議員協議会は二十余名出席、高等工業学校を静岡市に建設するの件に関し運動方法その他に付き中野議長を中心とし談合凝議(ぎょうぎ)せる結果、満場一致飽く迄徹底的に期成運動を為す事となり順序として17日午後1時より正式に緊急市会を招集する事として午後9時散解せるが尚同時に市電問題に関しても知事調停の報告ありたりと

市長知事打合せ

伴野市長は17日午後本県に登庁、赤池知事に面接高校建設位置問題に関し打合せを為す所あり

浜松極力運動

高等工業学校建設敷地問題に付き浜松市に於いては極力奔走しつつあるが尚今18日には市会を招集すべしと云うが17日正午同市代表者として市会議長中村忠七、同参事会員 中村四郎兵衛、佐藤章次三氏本県に登庁、赤池知事に面接会談時余に至りて運動陳情を為す所ありたり

静岡民友新聞(二)2~3
急施市会 運動委員選任

高等工業学校を静岡市に建設すべく政府に請願する件を主件として招集されたる急施市会は十七日同市役所楼上会議室に開会せり開会に先(さき)つ午後一時より市長室に於いて事業会を開き右運動に関する件及び之に伴う運動費追加予算千円支出の件を付議審査す市会は午後二時四十分開会出席議員二十二名伴野市長開会を宣す中野福三郎氏議長席に就き議事に入り劈頭左記諸氏を市会参与員に任命せし旨の報告あり
水野富三郎 大石峯八 山下広見  相磯(あいそ?)昌邦 長谷川長宣急議第一号『静岡市に高等工業学校を設置せられむ事をその筋に申請するものとする』を付議提出者伴野市長より説明あり袖山正志氏は概案は賛成に先鞭(せんべん)を付け更に中村嘉十氏は之に同じ
高工設置申請書の作成は、日切迫の為め市会はその辺あらざるを以て余は是を市長に一任せむ事を望む而して市長は当申請書は市会の議決を経ざるも之を経たると同様に取り扱はむ事を望む而して其の文意に関しては当市熱望の理由を明記し以て意味熱烈に表示されたき希望を有す
多数の賛成ありしが伏見忠七氏亦一場(いちじょう)の賛成希望演説あり

我が静岡市は元より商業の普及発達を望むと雖(いえど)も又工業を以て市政発展の条件となさざるべからず處に於いて本誌は多年工業教育機関設置を切望する事久しく市教育会又?に工業教育調査委員会を設置し居り、余も又先年?会に於いて工業学校設置の建議案を提出せし事あり幸にして県当局は最近静岡市に県立工業学校を設置したるが静岡市は県下工分布状況教育的 俗地?的関係を総合するに本市がこの申請を為すも理由ありと信ず。主務省又該校を本市に設立然るべきものと認む
併せて『静岡市には未だ刻下の営造物を有せざればこの際之れを切望す』とて力説する所あり、田中萬太郎又数理的に賛成理由を説明し杉本義道氏よりも『今後徹底的に運動し以て浜松市に奪はるる事なきを期せらるべし』切望し持て委員設置説を主張す。この際中村嘉十氏議事進行説を為し議長裁決の結果、起立満場を以て可決確定し引き続き、急議第二号 大正七年度追加予算運動費千円支出の件は、之れまた満場意義なく可決確定、同3時10分閉会せるが直ちに一同は別室に於いて協議会を開き実行方法に付き協議を遂げ左記中野甲賀両正副議長のほか、諸氏を委員に選任せり

静岡民友新聞(二)4
内定未し 知事高工位置決定を否認す

高等工業学校建設位置問題に関して政府筋にては旺(さかん)に本件は浜松市を選定し静岡市には大正11年に於いて高等学校を建設すべき内意なりと漏らしつつあり。斯くては争奪運動の前途も已(すで)に決定し居るが如くなるが又翻って赤池本県知事に叩くに氏は之れ等文部省の所謂内定なる者を否定して曰く 『高工位置問題に関して巷説(こうせつ)種々なるも未だ決定し居らずと云うがその真なる者なり、

即ち今玆(ことし)如何に文部省が静岡県に於いて浜松市を内定」せりと伝ふるも之れを建設すると否とは要するに本県に於いて寄付金110万円を支出すると否とに依る者にして万一県会が之れを否定せむか建設は 当然お流れとなるべし、従って位置の如きも余は先ほど各種の調査研究は重ねたりと雖も政府が之れを確定すべき如何なる承諾をも与えたる事なし、故に余は唯位置は未定なりと云うのみなり』と云々 飽く迄浜松決定を否定しつつありしが之れが為め各地の運動は益々猛烈を重ぬる事なるべしと

静岡民友新聞(三)1~2
高工が引っ張り凧で 運動の腕比べ

■静岡、浜松、沼津、孰(いず)くへ軍扇(ぐんばい)が揚がる? =地所が騰がった=

高等工業学校の設置問題は既報の如く娘一人に婿八人と云ったような訳で、静岡、浜松、沼津を始め数カ所から俺が俺がと出しゃばり出て、このところ媒酌人役の知事さんも何の縁談をまとめて好いかと迷ってしまうほどの有様だとは先ず以て結構な話であるが、静岡では文部当局の要路者が内々浜松へ設置すると決定して居るなぞと言ったとは大いに怪しからんのだどうしても静岡へ持ってこねばならんと云うのは第一静岡は県の政治の発する場所である、工業の盛んなる事も将来静岡、江尻、清水と云う大工業地を控えて居る以上決して浜松に負けるような事はない、寄付金だって浜松が三十万円出すなら静岡は五十万ぐらいは出し是非ともこの方へ持ってきたいものだと、大車輪になって運動をし始めたが、昨日の午後一時から緊急市会を招集して市長に一任し大々的運動に着手すると云う騒ぎだ
處が静岡に取って最も強敵浜松では運動開始に於いて既に静岡を出し抜き文部省当局の意思をも内々確かめ得た云うので幾ら静岡がひっくり返って騒いでも十中八九はモウ大丈夫だと許り納まり返って居たが、静岡が俄に大飛躍を試み出したので
◇ソレッと許り大童になって猛烈な応戦を始め 静岡に先立って上京委員を出し一泡吹かせて呉れようと其の意気込みは凄まじいくらいであるが、下馬表では高等工業は事実の處静岡よりは浜松の方が三大会社もあり将来に於ける大浜松の発展策としても是非とも高工は浜松に設け其の代わり高等学校を静岡に持ってくるのが一番公平だと云うし、

又一方では浜松に連隊が出来た時飲料水の悪いのにモウ懲りて居る處だ、それに静岡に持って来るべき鉄道院の工場も浜松に譲ったのだから今度は是が非でも設けるのが当然だと頑張る連中もあるが最後の沼津は既報の通り
町会及び郡長が主力となって運動を始めたが更に県会に絶大な勢力のある富士郡の◇政友会と連絡を取って其の勢力で沼津へ持って行こうと作戦計画に怠りない有様であるから今の處静岡、浜松、沼津とも何れに軍扇(ぐんばい)が揚がるか想像が付かぬ形勢となって来た、扨(さて)高工が静岡へ設けられるとしたなら何処が一番適当であるかと云うと目下工事中である県立工業学校の敷地に連続した清水公園付近が一番だと言う説があるので同方面一帯の地価は急に暴騰した、欲に限りのない事ではあるけれど之は余りに気の早い事で、今まで一坪十円及び十五円が売買相場であったのが◇昨今二十円から二十三四円に飛び騰がったのは現金なものである、次は浜松であるが位置としては連隊に通ずる高林付近、刑染会社のある船越方面及び龍禅寺付近の三カ所が最も呼び声が高い、沼津は未だ位置がどうだと言うような話は持ち上がって居らぬそうだが、兎に角面白くなってきたものである

静岡新報
静岡新報(二)3~5
日を追って熾烈なる高等工業争奪運動

高等工業学校敷地争奪は日を追って熾烈なるを加え静岡、浜松両市当局並びに有力者らは、協議会を開き或いは県当局乃???要路肉迫する等あらゆる手段を講じつつあり。駿東郡又多少の野心あるものの如く躍起運動を試むべしと伝えられるるに至れり。然り而して該校敷地は文部当局の洩らす所なりと云ふを聞くに浜松市に内定せるが如くなるも之れとて未だ確定せるに非ず?
△文部当局は浜松市が各種工業旺盛なると近き将来に於いて静岡市に高等学校を接地せんと内意ありよりかくの如き口吻を洩らしたるものの如し。従って県民の与論、献金状況の如何は敷地決定上深甚なる力を有するものと推(すい)し得べき節あり。されば此の際、静岡浜松両市の隔意なき協調と県民一致の奮発献金とは県当局は勿論政府当局の最も望む志なるべく文部当局の如きは静岡市の高工争奪運動を見て
△高工は不要・・・・

判読不能

浜松市説を打ち消すと共に他面以前県下全般に亘り寄付行為を慫慂(しょうよう)交渉に努めつつあり。すなわち昨17日知事の招致乃至は運動の為出庁せる主なる人々は左の如し
▲静岡市起つ
静岡市会協議会は予定の如く16日午後6時より市役所楼上に開会。市電問題は体勢昨報の如くようやく解決の曙光に接したるを以て此の際すべての論議を避くべしと為し。専ら高等工業学校設置運動に就き意見の交換をなし、結果17日午後1時より急施(きゅうし)市会を開会する事に協定、7時半散会したり
△急施市会
右協定に基づき17日午後1時より急施参事会を開会、更に同2時40分より市会を開会、出席議員22名・・・・

判読不能

を付議す、伴野市長の簡単なる提案理由の説明あり袖山正志、中村嘉十両氏原案に賛成し且つ中村市は
本案の趣旨によりその筋に申請者を提出するの要あるも之れが起草の辺なければ凡(すべ)て市長に一任したし。但しその申請書には市民の希望熱烈なる旨を現示せらるべく、尚之れが提出に当たりては再び市会の決議を俟(ま)たずとも市会の決議に基づきたる形式に依りせられ度し
との希望を付す。
次いで伏見忠七氏は工業立市論より田中萬太郎氏は県下工業分布論より是非共静岡市に設置実現を期すべしと述べ杉本義道氏は運動方法の如何は敷地上深甚なる関係を有するものなり万遺憾なきを期すべしと希望して原案に賛成す。議会を省略して確定議となし 次に
▲議第二号 大正七年度追加予算千円(所得税付加税増収見込額を以て財源に充当)付す。伴野市長より右は高工設置運動費に充当するものなりとの説明あり、之れまた満場一致意義なく直ちに原案通り可決確定、同3時15分閉会せるが更に別室に於いて協議会を開会し実行委員を選挙し運動方法は委員一任する事とし散会せり 実行委員は左の如し
▲駿東郡活動
駿東郡にては高工設置問題に就き川西郡長を中心として活動を開始し17日有力者より成る群費補助問題に関する協議員会が高等女学校に開会されたるを機とし種々協議の結果高工は東部に設置すルを妥当とし富士川以東に位する富士駿東田方賀茂の四郡は結束を堅ふし選定委員を上京せしめ極力運動する由

静岡新報(二)8
甲乙丙丁

高工設置問題に関しては浜松では既に九分の勝ち目を有して割合穏やかだ。静岡では17日正式に市会を開いて運動費千円を可決した。沼津を中心として富士川以東がもたった。
▲静岡の某有力者曰く 静岡と浜松との競争では浜松に負けるかもしれぬが沼津の方でも競争を始めたから結局中央の静岡のものだよと
▲文部省の意向は大正九年度に於いて静岡市に高等学校、浜松市に高等工業学校を設立しようと云うので両校一時では負担が大変だから知事は寄付金を集めるのに都合のいい高等工業高校を先にする様にして来たという説がある。知事は否定して居るが、そういう風説は中々盛んだ。

大正8年(1919)1月19日(日)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)2
沼津急施町会

高等工業学校建設位置問題に付き沼津町は18日午後1時より緊急町会を開会せり、全員出席沼津町に高等工業学校設置運動に着手する事を決議せるが運動費として静岡市と同じく金1000円支出の件を提議、和田伝太郎氏右は最も緊要なる事と認む、
且つ高工の設置は県立学校の均衡に於いて富士川以東の甚だ疎外せられつつあるは不公平なりと憤慨し且つ大工場存立し工業の発達並びに今後の工業勃興は頗る旺盛にして決して静岡浜松に譲らざるを以て沼津町に設置するを至当とすべし、
幸に田方富士両郡の有志は協力一致の行動をとるべしと言えば須(すべから)く此の機会を利用して運動なし沼津町民の熱烈なる希望を添ふ可しと舌端火を吐く熱弁を揮ふや後藤坂両氏そ賛成演説ありて閉会したりと

静岡民友新聞(二)8
一点鐘

高工建設位置問題に就いて知事赤池君曰く
「何私だって主務省だって十分研究はして居ますよ▼だから夫々土地々の長所を挙げてくる運動者の主張は仲々参考になるものでね」と暗に運動の効果を物語る一言だが▼建設設備費百十万円中出来うる限り多額に富豪や工場会社の寄付に俟(ま)たうとして之等を??する赤池君の苦悩も察せられる▼又一方??される成金連からは
「知事の前に座らされられたり態々課長の来訪を受けて膝詰め談判とあっては▼出さない訳には勿論いかず突然胸ぐらを執ってゆすられる様なするよ米騒動の時よりも金高が大きいだけ苦しさ又一倍だ」
と▼成金の中には随分金に執着する事の甚だしい者もあるが常だが今度こそは静岡も浜松も乃至は沼津方面でも可成りの金高がまとまるらしいと

▼昨今の知事室は高工問題関係の来訪者でひっきりなしの体とある随って知事官房も主事の森下君以下大多忙を極めて居る▼官房主事で思い出したが▼新主事森下君はすこぶる円満で平民主義の事に熱心な人だがこのほど 席に親子丼を食べながら
▼「私もこうして玉子の様に円満な人になりたいとこのほうは毎日親子丼を昼飯ばかり取って居ますがどうもまだ角がとれなくてねー」と円転滑脱洒落もうまいが社交も仲々うまいもの尚又「親子丼もうまいから好くのだそうな▼静岡市よりの高工設置陳情書は市会に於ける嘉十中村君の前言もありどの位熱烈な者かと期待して居たが▼出たのを見れば何の事頗る平々凡々「これじゃ中橋文相も大した感じは起こすまい」位か

大正8年(1919)1月20日(月)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)1~4
熾烈を極むる-各地の運動   沼津は金力を以てし 浜松は膝詰め談判開始 静岡は市会の先鞭

高工位置争奪運動は日を重ぬるに従いて益々熾烈を加え殆ど全県下に亘り熾烈なる運動を続行されつつあり、即ち東部富士川以東に於いては沼津町を中心として東駿伊豆一帯の広大なる地区に激を飛ばし沼津町会に於いて18日挙げられたる委員は其の後引き続き有力者和田伝太郎、後藤松太郎等を中心となり松永安彦、堀内半三郎、清金太郎、岩崎勳、湯山壽介、山下久二、黒田重兵衛等の諸氏の同意を得、船成金を以て知られたる緒明圭造氏及び依田治作氏らを動かし又同地一帯に分布せる会社工場主等を慫慂(しょうよう)して以て暗に寄付金の取り纏めの平易を計り殆ど金力を以て買収的に高工を沼津町付近に設立せしめむと奔走しつつあり、
浜松市に於いては既に大井川以西を糾合し之の又18日市会に於いて挙げられたる運動実行委員中心となり各種の方策を廻らしそれぞれ土地の長所を挙げて当局に迫ると共に暗中飛躍としては之れを発案せし
政府当局が政友会なるの折り柄地盤が殆ど政友会所属なるを奇貨として土地有力者は交々(こもごも)上京以て原首相以下、中橋文相等に膝詰め談判を為し、加えて岡田前文相の如きも命を伝えて熱心東西に奔走しつつありと云う、
静岡市に在りては当初運動の第一歩を浜松市に出し抜かれたりと伝えられしも之れが為招集せし市会は県下各地に先鞭を付け実行委員は既に19日赤池本県知事を経て中橋文相に対し設置申請書を提出し之れ又大井川富士川間を全部糾合、以て寄付金の慫慂(しょうよう)に努むろと共に土質水質交通等最も工業教育に適当なりとして、又土地の風俗は教育に適当なる本県下随一なりと挙げて正面運動を為すあり、
今20日には愈々実行委員は本省に向け出頭する筈なるが尚又19日午後6時より市会実行委員は静岡在住新聞記者団に対し応援方の申し込みあり、
運動愈々熾烈を極め目下の所にては何れが最なりとも断定すべからず、前途頗(すこぶ)る注目に値する者あるが一方本県当局に於いては之れ等地方的猛烈なる運動の脚下に見て一に県下の富豪及び大会社大工場等に対し寄附金募集に努めつつあり、結果成績可なり良好にして略(ほぼ)予想付きし者の如く、最近之れを基礎として不足分は県費の支弁に俟(ま)つべく予算の編成を為し以て県会招集期日は未だ決定せず、恐らく2月上旬末又中旬ならむか、因(ちな)みに県会招集前にあたり本県にては非公式に県会議員全員を以て協議会を開き各種の質問を為し公開県会にては只々満場一致可決確定するべし

静岡民友新聞(二)8
一点鐘

一県議が曰く「高工の運動は浜松も沼津も静岡に劣らずなかなかさかんなものだ、こうなると浜松と沼津の争奪の中間の静岡にお鉢が廻るだろう」と▼すこぶる真面目で御座ったが世の中に「漁夫の利」ていう事はあるにせよ学校位置の争奪などがここに歩行的や距離的に行くものとのみに限っては居まい▼今度こそは静岡も気勢をもウンと揚がって来た様だから詰まらない自分勝手な理屈を作って安心しないで運動するがいい▼浜松にも沼津にも政友会内閣に対する地盤利用の運動の奥の手なる者があって都合がいいが静岡のみはどうやら之がない様だ▼加之(しかのみならず)「お人好し」の事も又一番だからかえって損になるかも知らぬ故・・・

静岡新報
静岡新報
高工争奪運動益々熾烈 田方郡会建白書提出

▲田方郡会決議
目下開催中なる田方郡会に於いて太田賢次郎氏ほか六氏より高等工業学校設置に関し先決議案の提出あり満場一致を以て可決、同郡会議長より中橋文相及び赤池知事に提出したり
▲駿東郡協議
高等工業学校設置問題に対し富士川以東各郡は何れも結束して極力運動を開始せるが駿東郡出身県会議員及び前県会議員並びに有力者は今二十日沼津町役場楼上に会合し運動方法につき協議し今回は是非とも東部に設置すべく各郡歩調を固め在京代議士等及び有力者等と連携して運動なすべき協議をなすよし
▲浜松委員選挙
高等工業学校設置運動に就き浜松市にては18日の市会・・・・

判読不能

而して右委員は19日は市役所に委員会を開き種々協議の結果寄付金予定額調査並びに関係県会議員間に浜松設置期成運動を開始するに決したり。 尚這般知事の招致により登庁せる市有力者は赤池知事との会見顛末に付き語るらく
「文部省局は未だ浜松市設置を言明し居らざるも知事の口吻によれば静岡市が50万円寄付、東駿三郡が110万円の寄付を申しでたるも絶対に是を受理せざるが如き旨を語れるよりを推察するも浜松設置最も有望にて北遠素封家福川忠平氏より寄付金の申し出及び浜松普済寺猪又住職よりも敷地15000坪全部の寄付申し出であり
結局浜松へ設置確定せば全寄付金110万円中県費及び浜松地方、県一般に三分して殆ど平等の寄付になすに至らんか」云々

大正8年(1919)1月21日(火)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)1~4
知事の態度を難する者多し   県民愛撫の念薄く徒に駆け引きをこととしてこの競争各地の費やす莫大な時間と経費

高等工業学校設立に関する県下各地の争奪戦はいよいよ白熱的熱狂的に拡大し来たり静岡市の如きは市民大会を開催して群衆の示唆運動をすら敢行するに至り
 ある日は静岡市を中心として又は浜松市を中心とし不断の運動に奔走しつつあるが大勢を達観するに県下十三郡は中部及び東部西部の三分に分裂し富士駿東田方賀茂一団となり庵原安倍静岡志太榛原又一団となり小笠又これに同せんとし又磐田周智浜名引佐浜松等一団をなり団結を固くせんとなしつつあるが只小笠郡に在りては目下の処中部静岡を加担せむす形勢なるも或いは又西部浜松市に向かうやも知れずと
 これらの状況を総合するに来たるべき臨時県会(期日未定なるも)に於いて寄付金を議決する際には設置位置問題を論点として正に四十二の県議は地方民の世論をにないて議場に臨み三つの争奪をも演ずべしと云うが静岡市説を主張すべき議員は小笠郡を除けば十四名 沼津説は十五名浜松市説は十二名あり 之に政友会地盤より小笠郡にして同ぜむか西部は十五名となるべく、三派何れも数に於いて大同小異に在れば争奪戦を背景とせる来たるべき臨時県会は正に刮目の価値十分ならむと予測さる、
而して又本県に於けるその後の寄付金の状況は県当局にては種々の駆け引きもっぱら秘密に伏して発表されざるる経過成績は至極良好なるものの如く当初予想し五十万円内外は既に突破して七八十万円にも達せむす形勢あり、この趨勢を持って進むか純然たる県負担は案外に少なからざるべしと伝えらるるも事の如く地方的争奪運動の熾烈を加うる結果 いたずらに愛郷的精神より指定寄附を為す者増加すべく
 かくては之が取り纏め上少なからず困難を感ずる事なかるべきか当局が当初来 設立位置を指定せずして漠然と本県内と公表したる結果は遂にかくの如く運動を煮起こするに至り無益の費用と貴重なる時間とは各地に空費されつつあるの次第なるか
 今にして考えうれば寧ろ当局者は当初その位置を指定し持って応分の寄付を求むるにしかざりしかと嘆ずる者もあり

静岡民友新聞(二)1~4
本日! 市民大会 午後一時三発の煙火(のろし)を合図に 浅間社稚児拝殿に集まれ

高等工業学校設置位置問題に関する県下各地の運動は愈々猛烈?加えなかんずく静岡市の如きは従来の 温和主義を打破し全く白熱的に変じたり即ち静岡市民は既記の如く市会より実行委員を挙げて本県及び文部省 当局に陳情せるが一方在住市民有志は十九日午後六時より実行委員中野市会議長及び代議士尾崎元次郎諸氏 以下多数列席協議の結果二十一日市民大会を開催し愈々示唆的行動を敢行する事となれり即ち当日は午後一時 市民は浅間社稚児拝殿に?集 高工設置期成同盟会主唱となり同市在住代議士県会議員市会議員その他紳士 紳商の有力者発企(発起)となり決議書及び宣言書等を作成し同時に選挙せる市民大会実行委員しをて知事及び 文部大臣に向かってその主旨を電報を以て報告する筈なるが右に関し二十日同市各町総代会は午前十時を期し 市役所楼上に召集され諸般の協議を遂げたるが同日には同会は合図として煙火(のろし)を打ち上げるべく又 各町総代決議によれば同日は一戸必ず一人以上を出席せしむべしと云ふに在れば群衆は一万内外に達すべく 大々的示唆運動を行はるべく二十日午後は之が予告の為自動車数台は数万のちらし予告書を市内くまなく 散布し気勢はいやが上にものぼりつつありし因み(ちなみ)に大会の日及び当日の演説者左の如し

静岡新報
静岡新報(二)3~4
高工争奪戦=三地大活躍 静岡市民大会開催

高等工業学校争奪運動は全県を三分して浜松市を中心とする大井川以西、沼津を中心とする富士川以東、静岡市を中心とする中部、三つ巴となりて愈々益々その度を高め、挙々実々成功を期しつつあり

▲静岡市大活動
即ち静岡市にては十九日午後六時より静岡倶楽部に於いて市会実行委員を中心として尾崎代議士安達県議其の他参集して協議する所あり次いで二十日午前十時市役所楼上に
△町総代会を量集実行委員亦設置期生
△市民大会は煙火を打ち上げて開会を報じ一戸必ず一人以上参会の事に定め各町旗を翻して大いに気勢を添うべく中野市会議長座長となり田中萬太郎、伏見忠七其の他有志数名の演説に次ぎ『高等工業学校は本県中枢の静岡市に設置すべきものなり』てふ意味の決議をなし該決議文は直ちに文部大臣、本県知事及び在京実行委員に通告する筈なりと盛況思ふべし
△市青年団
にても20日午後6時

判読不能

氏は20日上京前に上京せる袖山正志氏と協力政府要路者に迫り諏訪郡一之輔、伏見忠七、安達俊助氏等は県庁に出頭赤池知事に会見陳情する処ありたり
△自治青年団活動

静岡市自治青年団にてその後引き続き高工設置問題につき熱心に運動中なるが二十日は萩原氏他数氏実行委員を訪(と)い午後清水、江尻、入江町長を訪問し静岡市に設置方につき同意を求むる処ありたり
▲浜松委員活躍
高等工業学校設置運動に関し浜松市にては既報の如く十九日の委員会に於いて種々協議の結果同夜委員高柳覚太郞他三氏は急遽上京し目下文部省に対し運動中なるが一方竹山市長、中村市会議長等は今二十一日県庁へ出頭浜松設置に関する請願書を致し更に上京先着委員等と打合せ運動を行う筈なりと
▲東部地方躍進
駿東郡にては来る二十三日郡下各町村長会を開きて高等工業学校設置運動に関する協議を為す由なるが之が準備の為現県会議委員前県会議員永井湯山の両代議士勝俣御殿場町長並びに沼津町会議員七名は二十日午前十時より沼津町役場に集合打合せをなしたるが更に会場を同町浮影楼に移し協議の結果 委員は富士田方賀茂三郡に交渉しその結果二十六日再び同楼に於いて全郡出身の県会議委員衆議院議員その他有力者集合し該校はあくまで東部に設置すべく具体的協議を為す筈なりと
▲依然寄付慫慂(しょうよう)
各地の運動斯くの如し この間に対し赤池知事は各地運動員を引見し且つ諸会社重役富豪等を招致して依然寄付金の慫慂交渉に努めつつありて東海紙料会社社長 福田忠平氏等は既に交渉成立せるものの如く二十日謝電を打し 一方松浦専門学務局長に長文の情況を打したるが寄付金は発表までには以外の巨額に達すべしと県当局は予想し居れり

静岡新報(二)8
甲乙丙丁

高等工業学校設置費寄付については県庁総掛かりで募集中だが甲も乙も知事の指定額だけ寄付すると云うので大変大喜びに喜ぶと、其の代わり位置は是非どこそこにと云う条件付きなので大閉口
▲和?水多しと雖も飲む水なし、寄付金大志戸雖も取る金なしと云う有様で非常に困って居るとの評判、いっそ位置を早く決定してそこへ予定額だけの寄付を申しつけたらどうだ
▲市電問題も知事の仲裁で江藤氏の復職辞職となって休職門にだけがかたがついた、これで江藤氏の顔も立つたと云うもんだ

大正8年(1919)1月22日(水)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(三)1~3
高工設置運動の烽火(のろし) 熱烈火の如き市民大会

   =浅間へ!!浅間へ!!集まる者約五千= =直ちに決議文を各大臣へ打電したり=

静岡市に高等工業学校を設置せんがための熱烈の如き静岡市市民大会は既報の如く昨日午後一時から静岡浅間神社稚児拝殿に於いて開かれた、
この日朝来寒気頗る凜烈(りんれつ)、寒風砂塵捲き上げて物凄き許りなりしか白熱的愛市の念に燃える我が市民は定刻二時間前より続々と会場へ繰り込むもの引きも切らぬ有様であった、
是より先正午十二時を合図に三発の煙花(はなび)を打ち上げ気勢を加えたので待ち受けた市民はソレッとばかり町旗を先頭に正々堂々として会場に押し寄せた、
浅間へ!!浅間へ!!会場へ差して繰り込む群衆で中の町通りから会場へ到る宮ヶ崎町通りは一時は身動きもできぬ物凄い有様であった、而も(しかも)後から後からと続いて来る市民の数は殆ど数えきれず一大荘観を極めた。
会場入り口なる浅間神社表門前の電柱には墨の色も勇ましく『市民大会々場』と記した貼り紙が寒風に翻って居た
会場付近には当日万一を警戒した静岡署の警官が各署に配置されて眼を輝かせて居た会場の稚児拝殿の入り口には夥しい巡査や刑事が万一の警戒に努めて物々しい
正午十二時半会場内は既に群衆で立錐の余地もない位で頻りに会場に迫る
◇拍手が盛んに起こる拝殿の屋根の上から蜘蛛手に渡された万国旗の下、赤、紫、青色と取り取りの各町旗と集まれる市民の数は正に五千と註せられた 見よ!此の熱烈火の如き市民大会を!
やがて定刻一時に至るや尚も潮のごとく寄せ来る人と旗で会場は寸余の空地もない有様となった

劈頭県会議員伏見忠七君は熱烈な口調で開会の辞を述べて市民大会の宣言をした後、座長として市会議長中野福三郎君を指名した此の時拝殿を十重二十重(とえはたえ)に囲んだ市民は一斉に拍手を鳴らし万歳を絶叫するする座長中野君の挨拶があって直ちに演説に移った同業静岡新報の黒田福三郎氏まず設けられた演壇に起って火蓋を切るを終わり
◇拍手と喝采のうちに同君の演説が終わると続いて数名の弁士が熱火の如き弁舌を揮った(ふるった)後最後に本社の小野氏壇に起って熱弁を揮い群衆からヒヤヒヤ大?賛成!などと喝采の声を浴びられて壇を退って演説 中野座長は続いて左記決議文を朗読したる後同決議文を直々(じきじき)各大臣に打電することを宣した同時に百雷の如き拍手の声が沸き立って浅間山頭の老杉の根も動かん許り(ばかり)であった
斯(か)くて座長の発声で天皇陛下の万歳三唱と我が静岡市の万歳を高唱して◇無事午後一時半散会したが我が七万の静岡市民は一致団結して静岡市のため飽くまで目的を貫徹するために更に猛烈なる大運動を開始する事となった
決議
一 高等工業学校の建設地は本県の主脳地たる静岡市に置くを当然と認むる 仍而(よって)全市民協力飽くまで之が貫徹を期す
右決議す
大正八年一月二十一日
静岡市民大会

静岡新報
静岡新報(二)5~6
高工争奪戦=静岡市民大会開催 敷地近く決定を見ん

市民大会
静岡市民大会は21日午後1時半より浅間社頭に開催、定刻煙火中空に轟くや各町各字何れも町旗を押立てて会場に繰り込み行列延々と数町の長きに亘り境内は人を以て埋まるの盛況をを呈したり、振鈴を相図に一同整列、伏見忠七氏開会の辞を述べ中野市会議長を座長に推し中野氏座長となり黒田福三郎、竹沢治平、諏訪部一之輔、小杉潔、田中万太郎、平野雷次郎、萩原福太郎諸氏交々(こもごも)起って熱弁を揮い市民の覚悟と決心を促し、目下上京中なる実行委員より祝電及び寺崎乙治郎氏の『生ぬるい覚悟ではだめ、大覚悟を要す』との電報を披露し左記決議を付議し満場拍手を以て可決し中野議長の発声にて天皇陛下の万歳及び静岡市の万歳を三唱し午後2時半閉会、決議は直ちに電報を以て主務省に致したり
一 高等工業学校の建設地は本県の主脳地たる静岡市に置くを当然と認むる 仍而(よって)全市民協力飽くまで之が貫徹を期す
右決議す
大正八年一月二十一日
静岡市民大会

▲静岡青年活躍
静岡市連合青年団にては20日午後6時半より市役所楼上に於いて代議員会を開会、市民大会参加を申し合わせ尚

高等工業学校の建設地は本県の主脳地たる我が静岡市に設置するを最適当なりと認め本団は此の目的を貫徹せんと期す
という決議をなし之れが実行委員として・・・・   ・・・・諸氏をあげ副団長常任幹事また右委員に・・・・

判読不能

終了後城内西尋常小学校に於いて実行委員会を開き実行方法につき種々協議する所ありたり
▲浜松委員登庁
高等工業学校設置運動の為既記の如く浜松市市長竹山平八郎は中村市会議長と共に21日午前8時55分浜松発汽車にて県へ登庁したるが上京中の深井、中村(四)、佐藤、桑原四委員と提携運動すべく同夜静岡発にて上京せり
▲赤池知事上京
各地の争奪運動かくの如し、敷地は何処、寄付金は如何、之れ刻下県民の耳目を惹きつつある二大問題なるが赤池知事は既に成竹あるものの如く21日早朝森下官房主事を従え文部当局と打合せの為に上京したれば其の帰岡と共に凡て解決すべしと想像される

静岡新報(二)8
甲乙丙丁

高等工業学校問題に関して21日赤池知事が上京した要件は位置決定の件で、?路伝わる所によると高工の位置は浜松市に決し高等学校を静岡市に設くると云う事に決するらしいと▲静岡市民大会は近来にない緊張ぶりを示した。常に其の熱心と其の意気があれば何事も出来る。世の中の事は何事も熱と力だ▲熱と云えば静岡自治青年団の高工設置運動は非常に熱心を極めたもので江尻に行く、清水へ行く、市当局有力者を訪問するで大活躍を行っている

▲同団は嘗て市連合青年団の組織される時、目的が精神修養に限られて居って政治運動が出来ないので加盟しなかったのが高工問題に就いて連合青年団も活動を初めたので、ソラ見ろ吾々の方が先明があったではないかと大変な気焔▲同団員曰く吾々が江尻町を訪問した時同町長の談によると水野助役及び伏見氏は高工問題に関し庵原郡役所は訪問したが江尻町長を訪はなかったと云う事だ、郡役所まで云った序(つい)でだ江尻町長とも会見して援助を頼むが当然だ、それをいないと・・・・

大正8年(1919)1月23日(木)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(三)1~4
序幕は切って落とされた 愈々猛烈な白熱戦   最も熾烈を極む静岡市の大活躍と岡田前文相の援助を求めた浜松市

高工争奪の白熱戦の序幕は二十一日静岡の市民大会に依って切って落とされた!!静岡市の運動は最も熾烈を極め上京中の実行委員と共に七万の市民は老若男女を問はず今まさに一致協力運動努力しつつあるが静岡には榛原以東庵原に至る四郡の応援するあり其の気勢最も揚れるが一方浜松市側にては十二名中県議桑原為十朗氏を始め四名の委員上京し岡田前文相の縁故を辿って文部省に出頭極力運動陳情する所あったが、更に竹山市長、中村市会議長も急遽上京して運動中である、之に対し沼津町浮影楼に四郡選出の代議士、県会議員、各郡会議長等会合して大々的に運動方針を決定して飽くまで静岡及び浜松に対抗すると云うので争奪戦は愈々白熱化し将に県下三分の形成となった

然るに文部省並びに県当局の態度は共に極めて不徳要領であって、位置は或いは既に決定した如く又決定せぬやうに伝えられて居るので遂には・・・・・せられんとする形成を示すに至ったが、静岡市の上京委員等は着京と同時に市選出の尾崎代議士と共に二十一日午前中中橋文相を◇其の私邸に訪問し直に市民大会の決議に基づきて大々的に陳情するところがあった、

更に文部省に松浦専門学務長を訪ねて前日に引き続き種々陳情する外衆議院に於いては本県選出代議士全部と面会するなぞ朝来自動車を駆って大々的に運動を試みつつあったが浜松より上京せる運動委員も岡田前文相等の援助を乞ひ?並びに政府当局に向かって静岡に劣らぬ大活躍を開始し頗る運動に努めているが、当面の中橋文相は「位置は既に内定して居るが未だ発表するの時期に至らず」 と委員に答えた由で◇中橋文相の其の言葉の意味に対する委員の解釈は 何れもまちまちにわかれ位置は未だ決定しないと解するものと位置は寄付金募集の成績に鑑みて之を決定するのであって位置の決定権は赤池知事に委せてあるだろうと想像するなぞと要するに文相の言は何等捕捉する事が出来なかったらしいが之によると位置は未だ静岡とも浜松とも決定を居らずと云うのが真実であるらしく思われる尚赤池知事が◇寄附金募集の必要上位置の言明を避けて居るがために無用の争奪運動を起こさせるのみならず位置不明である事は却って寄付金の出し渋りを誘致するものであるとの説盛んである

静岡新報
静岡新報(二)3~4
高工位置は愈々浜松 静岡へは高等学校か

高工争奪戦は愈々益々激烈を極め来たりけるが文部省の意向は既に報じたる如く浜松市に高等工業学校静岡市に高等学校を設置せんとするものの如くにて?に上京したる実行委員は二十一日帰岡したるを以て ▲静岡市会協議会 二十二日午後一時より市会議員協議会を開き報告を聴取し今後の方針につき協議する所ありたるが右委員の 報告より推察するも既に浜松市に決定せるものの如し即ち実行委員は二十日上京先ず本県選出代議士松浦 五兵衛氏を訪問し懇々依頼する所あり同志の紹介により中橋文相に会見したるに文相は 「諸君は浜松の方なりや」との質問あり静岡市の委員なる旨を答えるに 「しからば高等学校の件なりや」との問いあり委員は再び然らざる旨を答え高等工業学校位置を静岡に決定 ありたき旨を述べたる所 『位置は既に決定し居れるもご意見は承り置くべし』との挨拶あり、転じて松浦専門学務局長に面会陳情したるに 局長位置は決定し居れる・・・・・・・・

判読不能

事会員、袖山市会議員を委員とし飽くまで初志を貫徹する事を決議し散会せり委員は二十二日夜上京せり因みに 同問題につき上京中なる赤池知事は二十四日頃帰庁する由 ▲静岡青年決議 静岡連合青年団にては昨報の如く二十一日夜高等工業学校設置運動実行委員会を開会、運動方針につき種 協議の結果二十二日文部大臣並びに本県知事に対し陳情書を提出し他面実行委員を分派して安部庵原志太榛原 各郡青年団の同意を求むる所ありたり ▲榛原郡と高工榛原郡下町村長は二十三日午前十時より郡役所に会合高工設置問題に就いて協議を凝らすべき 筈なるが町村長の意向は静岡市付近に設置すべきに就いては飽くまでも静岡市と歩調を共にし政府又は知事宛 嘆願書を提出し目的の貫徹に努力すべしといふ

大正8年(1919)1月24日(金)

静岡民友新聞
静岡民友新聞(二)3~5
高等工業は浜松と確定 静岡市には九年度より高等学校を建設すべし

旬日来、静岡、浜松及び沼律の三地 を中心とし、高等工業学校建設位置争 奪のため三つ巴となりて運動甚だ猛烈 を極めたりしが、問題の高等工業学校 建設敷地は一月二十三日、文部省及び 本県知事の確定発表により、ひとまず 解決を告げたり。すなわち文部省にては八年度より四ヶ年の継続事業をもって建設すべき静岡高等工業学校はこれを浜松市に設置し、静岡市には大正九年度より高等程度の学校を建設すべく確定し、併せて 本省はこれら確定に対し保証を与うベく最近学制拡張ことに高等教育拡張に 関する法律を発布し、もつて今後移動なきを証明すべしといぅが、一方赤池 本県知事にありては該文部省の発表に かかる九年度より静岡市に建設さるべき高等程度の学校は明らかに高等学校を指定して解釈し得べしと言明し、のみならずこれが設立継続年期は経費その他の関係上高等工業学校に比して一ヶ年間を短縮し三ヶ年とし、両校の開校年次は大正十二年(現制を摘要せば高工は四月、高校は七月)において同時ならしめ、もって静岡市と浜松市との権衡を得せしめんとなしつつあり。 これはいまだ確定には至らざるも、すでに主務省とも意思疎通しおる模様なれば、恐らく実現する事なるべしと信ず。
右に関し赤池知事は諸般の消息を宣明し曰く
「高等工業学校設立位置の浜松市と確定したるは元より九年度より静岡市に設立すべき高等学校の確定と共に強き根拠のある発表として信ずべし

 余は該両校は共に本年度より建設に着手せしめたき希望を有せしが 政府は既に追加予算の編成をも終了し居れば間にあわざりしのみならず本省に於いても高等学校設立に関しては教育配当の都合及び大学に於ける学生収容の能力にも関係あれば,、之を一ヶ年繰り越し事業の部に入れたる者なるが恐らく本省に於いても本県の意思を諒察(りょうさつ)し継続年期を短縮して開校年時は高等工業学校と同時ならしむべしと信じ居れり
両校は位置に関しては唯一校を以て本県に設立するなれば県治の中心地たる静岡を先にすべき者なれ共 同時に開校し得べき両校は一時に静岡市に集中する能力なければ地理的及び実際的情況より最も適当と思惟(しゆい)する方針に従いて研究の上 此の如き配置に為せし者故に余は是が配置は最も公平と思了(?)しつつある次第なり」云々と
而して寄附金募集の状況に関しては各地会社は本紙昨報の如く喜んで応分の寄付を快諾し予定額には優に達す得べき予想なりと この如く県下の大会社が社会上の地位を自覚して率先して寄付を快諾するは最も喜ぶべき傾向なりと知事も語りつつありしが又九年度より着工さるべしと云ふ高等学校寄付金は該校が性質上一般的なれば知事の意向としては県下一般の富豪の寄付にも財源を俟(ま)つべしと云うが 察するに設立経費負担額の割当は県費四分、地元負担三分、寄付金三分の割合の如く察せらる