誘致が決まった大正8年(1919)大正9年(1920)、浜松は?
- 市長 竹山平八郎 家康が度々訪れ、江戸時代 古独礼庄屋として、高林家に伝わる「浜松御城・古独礼新独礼席順牒」に記されている名家
- 人口 64,749人 世帯 12,200
- 浜松市予算30万3千余円 (大正8年) 約半分が教育費とは驚かされる。
- 綿織物の一大産地
大正10年 静岡県 : 名蹟勝地
合計金額が合わないのは、若干項目が省かれているのか?
歳入
項目 | 円 |
---|---|
市税 | 155,907 |
使用料・手数料 | 41,782 |
国庫下渡金 | 7,602 |
交付金 | 12,441 |
報償金 | 2,389 |
国庫補助金 | 800 |
県補助金 | 9,249 |
財産売払代 | 7,000 |
繰越金 | 13,985 |
寄附金 | 10,600 |
雑収入 | 1,216 |
市債 | 38,000 |
財産より生ずる収入 | 2,645 |
計 | 303,056 |
歳出大阪朝日新聞 1919.2.12 (大正8)
項目 | (経常部) | (臨時部) |
---|---|---|
役所費 | 30,720 | |
会議費 | 2,577 | |
土木費 | 18,758 | 34,290 |
教育費 | 105,850 | 39,405 |
図書館費 | 1,677 | |
伝染病予防費 | 1,426 | |
病院費 | 5,784 | |
汚物掃除費 | 1,366 | |
共同便所費 | 60 | |
屠場費 | 645 | |
公園費 | 50 | |
勧業費 | 246 | |
救助費 | 171 | |
警備費 | 9,445 | 1,040 |
財産費 | 267 | |
諸税 | 535 | |
神社費 | 208 | |
表彰費 | 5 | |
公金取扱費 | 200 | |
徴発費 | 5 | |
雑支出 | 791 | 4,852 |
予備費 | 3,000 | |
市史編基費 | 450 | |
公債費 | 2,881 | |
補助費 | 2,680 | |
上下水道調査費 | 100 | |
雑支出 | 4,852 | |
臨時手当 | 8,077 | |
計 | 183,881 | 119,175 |
インフルエンザ( スペイン風邪 ) の大流行(パンデミック) 日本人での死者 45万人
当時の統計は38万人。しかし後の研究で、その他にされていた死者を含めると45万人。
- 第1波 大正7年5月~7月
- 第2波 大正7年10月~大正8年5月 死者 26万人
- 第3波 大正8年12月~大正9年5月 死者 18.7万人 大正7年(1918年)11月に最も猛威をふるい、死者は翌年1月に集中
当時の記録・・・ 流行性感冒 ( 大正11年発行 )
期間 | 患者 | 死者 |
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大正7年8月~大正8年7月 | 21,168,398 | 257,363 |
大正8年8月~大正9年7月 | 2,412,097 | 127,666 |
大正9年8月~大正10年7月 | 224,178 | 3,698 |
合計 | 23,804,673 | 388,727 |
第一次世界大戦 そしてバブル崩壊
第一次世界大戦(1914年~1918年11月)の勃発により、日本の全世界への商品輸出(東亜市場を独占)が急増。なかでも世界的な船舶不足から造船業、海運業が割拠を呈し、船成金が続々誕生。浜松も織物を中心に大増産(工場、力織機激増、小巾から広巾へ)。物価は上昇したが賃金は物価ほどあがらず。逆に庶民の生活は苦しくなる。
そして終戦でヨーロッパ列強が市場に復帰、日本は一転輸出不振となって余剰生産物 余剰設備が大量に発生、大正9年(1920)3月大恐慌が勃発 暗黒の時代へ