みかえる


 みかりん

サンプルロゴサンプルロゴ

浜松を育ててくれた二宮尊徳

二宮尊徳の教えがなぜ浜松に?

高林家は今川時代の地侍で、藩主に直接拝謁できる古独礼として(その中でも4総代の一家)その地方の自治を任されていた庄屋で明治になっても区長として地元の発展に貢献。
高林維兵衛は、掛川倉真 私塾「冀北(きほく)学舎」で尊徳の教えを学んだ

全国篤農家列伝 高林維兵衛君(明43.4出版)


左から4番目 万斛組 有玉下村 勝三郎

明治8年  同様な手法で出来た組合 積志講社

有玉、半田、小松、内野の4ヶ村の寄付で作った小学校の運営資金不足対策(明治7年 負債額 750円)として、正副区長の高林維兵衛、横田茂平は各村戸長と協議し 明治8年 積志講社設立。加入者の積金の貸付利子により負債を返済し、その後の小学校の運営資金としました。現在の「積志」という町名は、ここから生まれました。

日本全国諸会社役員録. 明治28年

大正11年建立 記念碑

徳川家達 揮毫 ( 積志協働会館 前庭 )

明治41年3月10日 静岡新報 浜名郡耕地整理 金原財団に援助出願

三方原台地の灌漑用水設置を目的に金原明善が作った金原疎水財団が予定した明治60年起工に対し、それを待てない地元民らを高林維兵衛氏がまとめ、一部、地元民負担とする案を作成し金原疎水財団に陳情

記事全文

金原疎水財団は明治三七年四月七日静岡県浜名郡和田村安間一番地金原明善 東京市日本橋区北鞘□五番地金原巳三郎の両名が天龍川を分水して三方原を貫流せしめ原野及び耕地に灌漑の便を与え工業奨励の為動力を廉価に供給する目的を以て時の内務大臣子爵芳川顕正に出願し同(仝)年五月二十五日民法第三十四条に依り許可ありたるがその財団寄付財産中磐田郡龍山村瀬尻 山林 三百十四町六反一畝七歩 田 三町三反貳歩 畑貳町三畝二十一歩  郡村宅地六反五畝三歩 建物 三十二坪は金原氏に於いて寄付し之れにより生ずる利益の内二百十五万九千三百五十七円を工事費に投ずる時は、給水区域 田 四千五百六十七町 畑 五千六百九町 山林原野 三千二十九町 三方原原野三千町歩は良田となる設計なれども本工事は明治六〇年よりの起工の筈なれば前途遼遠にて浜松及び浜名郡民は該工事の起工を待つの猶予なく最近の発展に伴い耕地整理及び水力発電の必要を感じここ数年の内に基本設計の実行を期せん為に先頃郡下大地主会を開き七名の調査委員を設け全委員は去る二十八日協議の結果同財団の援助を請わんと左の如き近日中に書面を携え金原財団理事をる東京北豊島郡巣鴨町大字上駒込三百四十四番地小野正弘氏方へ調査員を高林維兵衛他一名赴く由をるがその理由左の如し

今回浜松町他四十六ヶ村区域に渉り耕地整理の基本計画は別紙の通り之れが灌漑排水及び道路の設備を充分にし以て部分整理に依り区画の整理を図り耕地生産額の増進を致さんとす 而して又一面動力を起こし電気作用に依り工業の発展を期待せんとす 不肖□本事業遂行の為め既に発起準備委員の選任を□り之れを調査するに原野及び耕地に灌漑の便を与え□価の動力を供給して工業の奨励をなさんとするにありて恰(あたか)も貴財団の目的に一致する所あり 而してその費用の概算□は別紙の通りその全部を土地の負担とせんか地主の躊躇する所あり事容易に実行せられざらんとす このところに於いて貴財団のご同情を仰ぎその計画を実行し大いに国利民福を計り度(たい)考量に候得者(そうらへば)事実□と御調査の上何卒貴財団に於いて応分の御援助与えられ度

一金 百三十六万五千円 地主 基本設計
 外に 三十万円 部分整理費

計 百六十六万五千円

内 三十五万円 電力会社負担
  二十五万五千円 県費補助費
引 百六万千円 越債額
償還二十年賦割□として一ヶ年償金十万六千円
内二万円 電力会社負担
引八万六千円 土地負担
田反別五千百八十二町歩に配当すれば一反歩に付き一円六十八銭に当たる
償還方法 前十ヶ年土地負担、後十ヶ年疎水財団に願入るべき事

大正10年12月4日 東京日日新聞 祖先伝来の土地を小作人に分譲する

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫・東京日日新聞 06.農村

米不作で各村に小作争議勃発しつつある時、高林維兵衛氏は小作人に対し、未だ全国に前例がない年賦償還の方法に依る小作地分譲を行う
分譲条件は、
必ず御自身又は御家族にて農作するか或は農作用の建築物敷地として使用さるる以外には絶対御使用なき事
将来転売せざるよう万一売却余儀なき場合は私へ売戻されたき事 他
農商務省は技師を出張させ同家の施設を調査した程で全国各地方から篤農家の視察に来るものが多い

記事全文

農村の衰微を深憂のあまり一つは小作人の生活の為め
静岡県下の奇特な地主

静岡県浜名郡地方は米不作で各村に小作争議勃発しつつある矢先同郡積志村の大地主高林維兵衛氏は未だ全国に前例を聞かぬ年賦償還の方法に依る小作地分譲を企画した其趣旨は地主対小作人関係が余りに主従的で小作人は常に地主の為めに営々として勤労に服し乍ら其享くる処の収入は極めて僅少な為め漸次農村を去って転業するもの多く斯くては国家の前途にも憂うべき事だと云う見地から断然祖先伝来の土地を自作農以下の小作人に分譲し所謂自作農として堅実な農村を経営させたいと云うにある
分譲条件 希望申出者既に六十余名
而して其第一回を明年一月実施すべく今回左の如き土地分譲交換条件を百七十余名の小作人に配付した処既に六十余名の希望申出でがあった
土地でも有数の旧家 国家の農業とする大方針
高林維兵衛氏の農場を視察した農商務省の渡辺技師は語る「高林家は有数の旧家で其土地は浜松を中心に北方積志村に莫大もなく広がって居る浜松の南は即ち芳川村で昨年の徴兵検査の際の如き一村の壮丁三百名中百六十名は他に出稼ぎしている村内に在って真に農業を営んでいたものは僅かに四十名しかなかった位で農業の労作には実に手不足を感ぜしめている、此の状態は従来の農家が小作農を嫌って他に転業した一例で実に地方農村の為め憂うべき現象であった、高林氏が附近地主からの多少の非難攻撃を拝しての此の挙は実に国家百年の計であって目覚めざる全国幾多の地主の亀鑑とするに足るべきものである」
「先ず地主の頭から改造せねば駄目」 自ら鋤鍬とって耕やす高林氏
右に就き高林維兵衛氏は記者に語る「地主対小作人の争議を解決せんには先ず地主の頭から改造しなくては駄目だと思う多年の慣習と小作人の文化程度が未だ低いので工業争議程悪化はしていないがそれに甘んじて地主が目覚めねば農村経営上深憂すべき風潮を現出せぬとは云えぬ、私と雖も祖先伝来の土地を手放すことは決して快いことではないが時勢はモウそうした自己的観念にばかり囚われていることを許さぬと自覚し本年一月此土地処分を思い立ったが当時財界不況の関係上希望者少く好結果を得られなかったが今度は徹底的に理想を実現すべく努めている」と因に高林氏は大正二年十一月中上京して府下下渋谷私立東京農業大学専修科に学び翌三年九月中途退学帰郷後従来の家憲を改正、支配人制度を撤廃し、自ら鋤鍬取って田園に立ち小作人との接近を図り今や同地方の模範地主となっている為め先に農商務省は渡辺技師を出張させ同家の施設を調査した程で全国各地方から篤農家の視察に来るものが多い(二日、浜松発)

データ作成:2004.3 神戸大学付属図書館

第一、在宅分譲適格 私所有宅地に御住居の方に分譲します
第二、田畑分譲交換適格
(い)現在耕作者に分譲または交換す
(ろ)耕作者でなくも私所有の田畑耕作を便宜と認むる方には分譲又は交換す
(は)分譲田畑は絶対に他に転貸をお断りす、従て他人に貸与する程田畑を所有する方には分譲せぬ
(に)一戸に対する分譲又は交換すべき反別は三反歩を以て限度とす
(ほ)共同で分譲又は交換希望の方には連帯契約の形式で希望に応ず
第三、分譲交換不能の土地
(い)私の住宅地附近は分譲交換せず
(ろ)県道沿いの場所も同前
(は)私所有の集団地は之れを区分し分譲又は交換せず
第四、土地分譲交換申込期限
右希望者は大正十年十二月三十一日までにお申込みください
第五、土地分譲交換に関する手順
土地分譲交換に関する手続は申込順に依り決定す、但し同一箇所を同時に申込みありし場合は左の順序に準じ決定の事 (い)私所有地を現在耕作している方を先にし然らざる方を後にす
(ろ)分譲を先にし交換を後にす、但し宅地は住居者に限る
(は)右二項の場合以外は申込者相互間に於て協定の事
第六、土地価格決定方法
(い)土地評価は小作者側に付各字一名宛の外老農一名を加え土地評価委員を組織されたし 別に郡農会農事監督、村農会長を相談役に委託す
(ろ)右委員と相談役合議による地価評定に対し私の同意せるものを評定価格とす
第七、土地分譲交換契約に伴う代償受授の方式左記各項に付御相談契約す
(い)土地分譲交換に因り私方へ支払わるる金額は譲渡手続終結と同時に全部頂いてもよろし
(は)年賦償還の形式にてもよろし
(に)交換の場合私の方より差上げる金額は手続終了と同時に全部御交付す
定期償還並に年賦償還の場合内入金、利息、年限等は土地評価の方法に準ず
第八、土地分譲交換契約に伴う附帯条件
(い)分譲又は交換の土地は必ず御自身又は御家族にて農作するか或は農作用の建築物敷地として使用さるる以外には絶対御使用なき事
(は)将来転売せざるよう万一売却余儀なき場合は私へ売戻されたき事