江戸時代は小氷期?
最近では樹木年輪幅のデータで気温の変動を年単位で判るようになると、暖かい時期はあることが判ってきたが、それでも江戸時代 度々の冷害、長雨で飢饉を引き起こし人々を苦しめた
江戸時代に発生した 左記以外の飢饉
・寛永の大飢饉
寛永19,20年(1642,1643年)
・享保の大飢饉
享保17年(1732年)
天竜川氾濫
地震・噴火 江戸後期
最近では樹木年輪幅のデータで気温の変動を年単位で判るようになると、暖かい時期はあることが判ってきたが、それでも江戸時代 度々の冷害、長雨で飢饉を引き起こし人々を苦しめた
江戸時代に発生した 左記以外の飢饉
・寛永の大飢饉
寛永19,20年(1642,1643年)
・享保の大飢饉
享保17年(1732年)
江戸時代に発生した 左記以外の飢饉
・寛永の大飢饉
寛永19,20年(1642,1643年)
・享保の大飢饉
享保17年(1732年)
地震・噴火 江戸後期
項目 | 西暦 | 旧暦 | 範囲 | 内容 |
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宝永地震 | 1707年10月28日 | 宝永4年10月4日 | 駿河湾-四国沖 | 遠江天竜川以東地域の土地が隆起し、浜名湖北部の気賀伊目村が沈降 「気賀村は本高 2,600 石余のところであるが,去年宝永四年十月四日大地震の津波で,田畑 1,700石余が荒地になり今も潮が引かない.すこし潮が引いても田地がゆり下げられ,2 尺浜名湖の水の下になってしまった.このままでは荒れ地となり今まで通りに百姓は生活しがたく,飢え死にするしかない」 国文学研究資料館所蔵気賀宿文書 |
宝永大噴火 - 富士山 | 1707年12月16日 | 宝永4年11月23日 | 23日 午前10時ころ、富士山は南東斜面より大噴火。噴火は、12月9日未明まで16日間断続的に続く。噴火後の降砂により富士山東部 酒匂川の河床が上昇、その後 雨の度に火山灰が流れ込み 以後 100年以上にわたって氾濫を繰り返す 酒匂川の流域で天明7年(1787)生まれた二宮金次郎。4歳くらいの時、酒匂川の氾濫で田畑を失いその後、14歳の時 父が、16歳の時 母が亡くなり一家離散 |
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天明大噴火 - 浅間山 | 1783年8月5日 | 天明3年7月8日 | 午前大爆発 | 江戸市中まで大量の火山灰を降下 天明の大飢饉発生 |
安政東海地震 | 1854年12月23日 | 安政元年11月4日 | 駿河湾-紀伊半島沖 | 午前9時頃に遠州灘でマグニチュード 8.4 の巨大地震発生 安政南海地震に追い打ちをかけるように安政2年9月28日(1855年11月7日)、遠州灘を震源とする安政東海地震の最大余震発生安政東海地震にともなう東海地方海岸地域の上下変動(Ishibashi, 1981)に実際の地形要素 を加えたもの ( 地震防災 p39 学術図書出版社 ) |
安政南海地震 | 1854年12月24日 | 安政元年11月5日16時半頃 | 中部-九州 | 安政東海地震から32 時間後、先の震源地からはるか西に離れた南海道沖で、マグニチュード 8.4 の地震発生 安政東海地震最大余震 わずか4日後 安政2年10月2日 安政江戸地震発生 |