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浜松を育ててくれた二宮尊徳

二宮尊徳の教えがなぜ浜松に?

江戸時代は小氷期?


夏期平均気温と飢饉(歴博2017年09月号)

最近では樹木年輪幅のデータで気温の変動を年単位で判るようになると、暖かい時期はあることが判ってきたが、それでも江戸時代 度々の冷害、長雨で飢饉を引き起こし人々を苦しめた

江戸時代に発生した 左記以外の飢饉
・寛永の大飢饉
   寛永19,20年(1642,1643年)
・享保の大飢饉
   享保17年(1732年)

天竜川氾濫



「水害常襲地域の近世~近代」(山下琢巳 著)

静岡県浜名郡誌.下巻 (大正3年発行) 「天竜河沿岸破堤による災害」

 幕末は、堤防決壊が続いて発生している

地震・噴火 江戸後期

国立公文書館 > 点火大変 資料に見る江戸時代の災害

項目 西暦 旧暦 範囲 内容
宝永地震 1707年10月28日 宝永4年10月4日 駿河湾-四国沖 遠江天竜川以東地域の土地が隆起し、浜名湖北部の気賀伊目村が沈降

「気賀村は本高 2,600 石余のところであるが,去年宝永四年十月四日大地震の津波で,田畑 1,700石余が荒地になり今も潮が引かない.すこし潮が引いても田地がゆり下げられ,2 尺浜名湖の水の下になってしまった.このままでは荒れ地となり今まで通りに百姓は生活しがたく,飢え死にするしかない」
国文学研究資料館所蔵気賀宿文書
宝永大噴火 - 富士山 1707年12月16日 宝永4年11月23日 23日 午前10時ころ、富士山は南東斜面より大噴火。噴火は、12月9日未明まで16日間断続的に続く。噴火後の降砂により富士山東部 酒匂川の河床が上昇、その後 雨の度に火山灰が流れ込み 以後 100年以上にわたって氾濫を繰り返す

酒匂川の流域で天明7年(1787)生まれた二宮金次郎。4歳くらいの時、酒匂川の氾濫で田畑を失いその後、14歳の時 父が、16歳の時 母が亡くなり一家離散
天明大噴火 - 浅間山 1783年8月5日 天明3年7月8日 午前大爆発 江戸市中まで大量の火山灰を降下
天明の大飢饉発生
安政東海地震 1854年12月23日 安政元年11月4日 駿河湾-紀伊半島沖 午前9時頃に遠州灘でマグニチュード 8.4 の巨大地震発生
安政南海地震に追い打ちをかけるように安政2年9月28日(1855年11月7日)、遠州灘を震源とする安政東海地震の最大余震発生
安政東海地震にともなう東海地方海岸地域の上下変動(Ishibashi, 1981)に実際の地形要素 を加えたもの
( 地震防災 p39 学術図書出版社 )
安政南海地震 1854年12月24日 安政元年11月5日16時半頃 中部-九州 安政東海地震から32 時間後、先の震源地からはるか西に離れた南海道沖で、マグニチュード 8.4 の地震発生
安政東海地震最大余震 わずか4日後 安政2年10月2日 安政江戸地震発生